この本は、小説家の矢作俊彦さんが横浜を舞台として書いたハードボイルド長編小説である。
「キラキラした本牧のピークを過ぎた背景と、台詞の一言一言がクールにマッチングして男達の心境を繊細に匂わせるダンディズム満載の小説だ!」ミッキー・スピレーンのハードボイルド探偵小説「マイク・ハマー」がベースにあり、後に有名になった「私立探偵 濱マイク」よりも先に書かれた作品である。
ストーリーとしては、仲間の一人が首都高速線横浜・羽田線でパトカーに追跡され、銀色のポルシェ911sタルガで事故死してしまう。その仲間の四十九日の法要に集まるが法要には出席せず、「パーティ」で仲間の友人を悼むことを計画した。そのパーティとは、追跡したパトカーへの復讐であり、仲間それぞれが準備をする。その間に、共通した一人の女性との思い出が見え隠れして、パーティは開幕し、そして終焉を向かえる。
▽事故現場となった横浜は、生麦のS字カーブと登場する車(イメージ)
この小説は、とにかく台詞がカッコイイ、いやカッコ良すぎて普通に使うと笑われそうだが、いや間違いなく笑われるが本を読んでいると真面目にカッコ良いのである。また、地元しか知らないだろう!という背景描写が横浜・本牧を細かく書いている。そして、まあ車の事も詳しすぎるくらい書かれている。それも、今人気のエコカーとかじゃなく”馬力”がメインで、ガソリンを垂れ流す車なのである。当初のミッキー・スピレーンのハードボイルドで言えば、独特のセックスとサディズムを指しているが、この小説は、「街」と「車」・「服」をモチーフとして、全てのアイテムディテールに拘ることで、ハードボイルドを表現しており、ニューハードボイルドとも言われている理由も理解できた。
「酒」というアイテムからの視点は、サントリーのサイト「ダンディズム編」をご覧ください。
また、「音楽」というアイテムから見ると当然、ザ・ゴールデンカップスも出てくるが、ビーチボーイズの”キャッチ・ザ・ウェイヴ”も重要な要素として使われている。1972年に大ヒットしたジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」でもビーチボーイズの曲が使われており、主人公が乗るデュース・クーペのカーラジオからビーチ・ボーイズの曲が流れると「サーフィンは嫌いだ。ロックはバディ・ホリーで終わったんだ」という場面があったり、エンディングでは「オール・サマー・ロング」が使われている。個人的にはアメリカン・グラフィティも意識していてアメリカン・グラフィティの”ワンナイトもの(当日から夜をまたぎ翌朝までの物語)”に対して、この本は”ワンデイもの(1日の物語)”となっている。
出てくる仲間達が、とにかく他の仲間に負けないクールを求めている。ビビったら負け!的な思想や、悲しみは見せず逆に楽しんでる風を装う不良的な要素がある反面、1対1の二人きりの仲間になった時にフッと見せる本心(悲しみ、弱み、仲間愛)がありつつ、逆に口から出る”自分の本心を装うクールな台詞まわし”が絶妙だ。
とにかく、カッコ良くハラハラしながら、また最後には、「その後は、どうなった?」と読み手それぞれが想像出来るように終わっているのである。もちろん「私立探偵 濱マイク」も大好きだけど、この小説は自分も、いつの間にか主人公(大勢)と一緒に仲間の一人となってパーティに参加しているのである。
最後に、個人的に疑問を持ったのは、主人公の「マイク・ハマー」がパッとしないのである。どこか、遠くから仲間を見ている感じがあり影が薄く感じた。でも、これは主人公を薄める事によって他の仲間を浮き出させ全体的にバランスの取れた全員参加型の物語にすることで、読んでる自分まで、その仲間にしてしまうかなり巧妙な手法なのかとも考えているが、意図的なものなのか?他に目的があるのか?疑問は、残った。
沢山書いてもネタバレになるし「本牧」が使われたフレーズのみ紹介します。
ちなみに、書籍で登場する「根岸ハイツ」は、本牧エリアとは別地域の為、対象外としています。
海岸通りの路肩、垂れた銀杏の枝の下に、コロナ・マークⅡのGSSが停まった。三連のメロディー・ホーンが鳴った。足まわりをかため、車高を落とした悪趣味な車だ。横浜ナンバーをつけてはいるが、そのプレートにも、この風景にも相応しくない。運転席からスウィング・トップのジャンパーを着た男が降りてくる。女を二人連れている。一人は、まあ見られる顔だ。しかし、髪を真赤に染めている。「よう、おまえら」生垣の処に立って、男がテラスへ声をかける。本牧でよく見かけた顔だ。
これって、ナポレオン党のことですね~。皮肉たっぷりに書かれていますが、この続きでは”英二はうつむき、自分の足と足のあいだに、そっと文句をたれる。”とあり、やはり喧嘩相手にするのはマズイという表現がされていました。趣味は違えど、女を連れ車を乗回すナポレオン党に、やっかみを感じさせてる、微妙な空気が上手く表現されてて笑ってしまいました。
月曜日の本牧は泥のように眠っている。金曜の夜なら少しはましだが、しかしそれにしてもあのひと頃の熱っぽさは、もうこの街にない。
この小説が発表されたのは、1978年。1977年には日米合同委員会で米軍本牧住宅地区の返還に合意があり兵士が、どんどんアメリカに帰りフェンスの向こうのアメリカが減衰している頃だと思う。
静かだ。埋立地の中の六車線の産業道路が出来たため、港にむかう貨物車両も、もうこの辺りを通らない。これじゃあ、明け方の死んだ街だ。
産業道路が出来る前は、麦田のトンネルや小港から本牧通りを使って間門や根岸経由で東京との物資輸送をしていたけど、接収が解除されると同時に産業道路が出来たら小港から十二天側の産業道路を使う経路となった為に、本牧通りをトラックが通らなくなった為だと思う。
まだ、市電が通っていたころ、基地に面したこの通りで、朝帰りの黒人達が歌を歌っているのに出くわしたことがある。(略)”あの歌は、何だい。アフリカの宗教音楽か”訊くと、ブルースだという返事だった。”(略)なんのことはない、そうして聞くと、中年爺いの酔いどれががなりあげる”美空ひばり”と大差がなかった。
これは、皮肉まじりだけど的を得ていると思う。音楽的に言えば、ブルースには小節構成とかコード進行とか色々とあるみたいだけれど、結局のところ、黒人霊歌や、フィールドハラー(労働歌)なので、辛いことや悲しいこと、仕事で疲れ切った時に口ずさんだ音楽から発展しているし、そういう時に酒はつきものだから、日本人なら日本酒飲んで”美空ひばり”を歌うのと同じだと思う。「ブルースは、そんなんじゃない!」って人いたら、スミマセン。
真昼間だというのに、光量は半分くらいまで上げられている。多分、なだらかな丘の斜面が陽を隠し、そこを影にしているのだろう。アメリカ軍にだって悩みはあるのだ。百のうち九十九までは、金網の外から理解出来ないような悩みだけれど。
単純に、昼間だけどテニスコートが丘の影で暗いという悩みで、だから照明を付けている風景なんだけど、日本人に理解できないが、裕福な環境であっても悩みはあり、贅沢を言ったらきりがない的な意味合いを皮肉っているんだと思う。
アメリカも貧乏になったんだ。自分の処の兵隊を食わして、自分の女房を歓ばすだけで、連中も精一杯なんだ。
1971年8月までは、1ドル=360円の固定レートだったけど、ベトナム戦争への膨大な出費などからインフレが進み、1980年代では、1ドル=200円くらいまで円高になり物価が倍近くなったから。それまで、贅沢三昧遊んでいたアメリカ兵も遊ぶお金どころか生活も厳しくなってきた時代だった。
コートの隣にあるギャレージのシャッターには、エンパイア・ステート・ビルから吹きあがる炎の悪魔に、ホースを持って、今、挑みかからんとするスーパー・マンの絵が、めいっぱいペイントされている。米軍消防隊のギャレージだ。
ここは昔、とんでもなくタフな兵隊がごろごろしていた。アメリカが世界の警察官を辞任してしまうと、そ奴らも国へ帰ってしまった。博徒の金看板をおろして近代企業に衣替えしたヤクザみたいに、アメリカ軍は紳士のふりをきめこみ、罐ビール片手の大男たちが”ファック”だの”シット”だのと叫び合って野球をしていたグランドでは、金髪の娘が太股をちらつかせて、グレート・ブリテンのスポーツを楽しんでいる。シャッターのスーパー・マンだけが、最後まで炎と戦うつもりだ。
1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は、ベトナムへ派遣したアメリカ軍を撤退させた。1960年代から始まったベトナム戦争も撤退がきまり、円高も進み、1977年には米軍本牧住宅地区の返還も決まった。引き揚げ準備を開始している頃を書いている。それにしても、このスーパー・マンの絵は是非とも見てみたい!写真等で残っていないかな?更なる悲劇は、世界一の高さのビルとして建てられたエンパイア・ステート・ビルが、ワールドトレードセンターに譲ることとなり、”9.11″のワールドトレードセンターの崩壊という痛ましい理由からではあるが、再び「ニューヨークで最も高いビル」となった。当然のことだけど作者の矢作さんも、まさかこういう展開になるとは想像もしていなくてビックリしたんだと思う。
PXの前のT字路に戻って来る。ここから先がいわゆる本牧の街だ。”ゴールデン・カップ”、”IGアネックス”、”イタリアン・ガーデン”、”ブルゥ・ムーン”とうに潰れたか様変わりしてしまった店の名ばかりが頭にうかぶ。
いわゆる、今のGEO付近から本牧通りを麦田のトンネルに向かう方向を指してるんだけど、”ブルゥ・ムーン”というお店の名前が初耳だ!ベニスやV.F.W.、べべの改名?それとも、架空の店名で、orenz Hart & Richard Rodgersの「blue moon」を書いただけなのか?柳ジョージさんの曲に「Blue Moon Cafe」があるのですが不明。もし、知ってる方がいましたら教えて下さい。私も調べてみます。
「あれ?本牧を皮肉ってるだけ?」と思う人もいるかと思いますが、キラキラした60年代の本牧を書いてる本や資料は沢山ある中、これだけ詳細に接収解除が決まり基地が衰退していく状況を書いているのは、この本が一番だと思います。また、魅力がなければ題材に取り上げられずスルーされることでしょう。本ホームページの副題でも”時代と共に姿を変える街「本牧」”とあるように、本牧は「チャブ屋街」、「接収街」、「バブル街」とキラキラしては衰退を繰り返している街に見えます。本文にも書きましたが、それを繰り返す本牧の街自体がブルースではないでしょうか?私にとっては、矢作さんの皮肉こそが本牧への最高のリスペクトに思えてなりません。この小説後に、「探偵物語」、「濱マイク」、「プロハンター」、「ベイシティ刑事」 や「あぶない刑事」など横浜を舞台にした作品が次々と生まれるきっかけとなった。
矢作俊彦(1978) 『マイク・ハマーへ伝言』 光文社
コメント
まーちんさん!コメントありがとうございます。シーガーディアンで、矢作俊彦さんにお会いして本にサインまで頂いたとは凄いですね。今は、本牧も当時の接収地もなく、その面影もない状態です。「マイク・ハマーへの伝言」でも、本牧の活気が薄れていた頃の描写が大好きです。今後とも宜しくお願いいたします。
何度も読みました。私は打越ですが80年代にはホテルニューグランド にあったシーガーディアン のカウンターにいつも矢作俊彦さんが座っており、カウンターの向こうには宮本友春さんがいました。何冊も本にサインしてもらった思い出があります。91年にシーガーディアン が潰されたときにお別れパーティがあってそこにも矢作さんや安部譲二さんや阿木燿子さんらがいました。
こんにちは!
バブル期に本牧で暮らしてアメ車を所有とは、まさに本牧グラフィティですね。
ハマオさんも不完全燃焼感があったようで、矢作さんの意図なのでしょうか?
本牧を舞台とした作品は、他も取り上げていましてカテゴリの「CD.DVD.書籍」に
多少あります。まだまだ、あるのですがブログに書くのが億劫でして・・・
また、本牧関連の事は何でも書いてくつもりなので今後とも宜しくお願いします!
こんにちは。
読みましたよ~ 70年代好きで、昔(バブル期)に本牧暮らしだったのでこの手の描写は大好物です。
が、仰るように後半に行くとマイクハマーが影薄になってしまいますね。
それが読後の不完全燃焼感の一因にも思えますね。
加えるなら、20年来アメ車を所有する自分目線で言わせてもらうと、車のディテールは今ひとつかな。
…まぁ矢作氏はカーアクションを描きたいワケではないのでしょうが(笑)
YOUサン抜粋の箇所などはとてもイイですね!
何だか、今の時代からするとより変わりゆくヨコハマへのオマージュというか…
本牧が舞台になる作品がほかにもありましたら是非取り上げてください。
では また。