横浜市中区本町1-6(横浜線関内駅下車5分)
関内駅から横浜市庁舎前を過ぎ、大桟橋方向の5分ほど歩くと県庁の手前に時計塔をもち、赤いレンガと白い花崗岩の混合積みが美しい調和をみせるネオ・ルネッサンス様式の建物がある。横浜市開港記念会館(かいこうきねんかいかん)(国重文)である。1909(明治42)年、横浜開港50周年を記念して市民から寄付が集まり、それを基に東京市の技師福田重義の設計で1914(大正3)年に会館建設が着工され、1917年に完成した。地下1階地上2階建てで、建築当時は公会堂の他に貴賓室、商工会議所役員室・撞球室(どうきゅうしつ:ビリヤード)・食堂など62室あり、横浜の政・財界のサロンや文化施設として使用された。公会堂では演奏会や演劇などが東京公演に先がけて行われたという。
建物は関東大震災で一部が崩壊したが、昭和2年に再建された。内部にあるペリー来航時の黒船ポーハタン号や、駕籠(かご)に乗る外国人と和舟の渡しの風景のステンドグラスは開館当時のものである。敗戦後はアメリカ軍に接収され、メモリアルホールと呼ばれて婦人将校の宿舎や軍需品司令部となった。昭和33年に接収が解除された。
正面入口の左側に岡倉天心誕生の地の碑と隣りあわせに横浜商工会議所発祥の地の碑がある。この場所には1871(明治4)年まで生糸貿易商石川屋があったが、1874年4月に町会所が建てられた。町会所の建物はいわゆる横浜浮世絵にも描かれ、スイス製の電飾時計がはめこまれた時計塔のある建物で、横浜名所であった。横浜商工会議所は、1880(明治13)年にこの町会所で発足した。発足当時は横浜商法会議所といったが、昭和3年に横浜商工会議所と変更した。商法会議所は、生糸貿易商で初代会頭となった原善三郎や小野光景(みつかげ)が福沢諭吉に助言を求め、それに基づいて外商を相手とする横浜商人の結束と自立をはかるために設立されたもので、記念碑は発足100周年を迎えた昭和55年に設立された。
参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996
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