「本牧」の地名の由来

歴史
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そもそも、「本牧」って地名は、どこから付いたんでしょうか?
そう思って調べてみたところ鎌倉時代の初め、12世紀頃から歴史に出てるらしいです。
かなり昔に、さかのぼる話となります。

アイヌ語説

アイヌ語のポン(小さい)モリ(海湾)で「ポンモリ」が訛って「ホンモク(本牧)」となったと言う説。
更に、マカ(開く)ト(湖水)で「マカト」が訛って「マカド(間門)」も同様とのこと。

横浜市保土ケ谷区仏向町の古代発掘で見つかった貝塚から生活様式を見るとアイヌ民族らしいとの事で、トッペ(戸部)、カタヒラ(帷子)、ホト(保土)もアイヌ語から来てるそうです。

でも、「アイヌって北海道じゃない?何故?」と思って調べたところ、理由は、昔の日本列島には今のアイヌの祖先、もしくはアイヌ語の語源を話す人が住んでたが、大陸から日本原人(渡来人)が北九州から入り、アイヌ語がなくなり今の語源になったそうです。

本当かどうかは、分かっていませんが、横浜市の地名解説にも間門の地名はアイヌ語からと書かれています。

牧場説

牧場のつながりから地名が付いたと言う説。

10世紀に天皇の御牧として4牧設置された1牧が本牧地区かもしれない。(現在も場所の特定はされていません。)

また、現在の本牧地区には「牛込」「間門(馬門)」がある。
間門の旧家に残された證文に小字名として「馬瀬」と記され名寄帳にも「ませ口」とあって、ませとは「馬塞」と書いて、馬が出られないように作った垣を言う。

昔は、「本牧」を「本目」と書いてた記録もあるんですよ。結局は、いま現在も「本牧」の名前の由来は諸説ありまして、明確にはなっていませんでした。

そんな風に古い時代を妄想するのも楽しいですね。

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